環境エンリッチメントって?(1)PK誌より

この文章は、関西の動物園飼育担当者らで制作されていた冊子「The professional Zookeepers」に、1998年に掲載されたものです。

当時は、環境エンリッチメントという言葉がまだ普及していませんでした。

原稿を書いた当時は、まだ大学院の修士課程の学生でした。

学部の頃から動物園に関わる研究室にいたものの、日本の動物園や動物飼育についての経験や知識が十分あるわけでもありませんでした。

また、日本にはなかった新しい情報を学ぶことに一生懸命になっており(英語は苦手でした)、知り得た情報を日本語に直して書くだけで精一杯、じゅうぶん自分で消化できているわけではありませんでした。

そのため文章が若く、少々とがり気味で、飼育現場の大先輩の方々に、このような文章を書いていたと思うと恥ずかしくなります。

そんな部分も多いながら、内容については20年以上たった今でも通用する情報だと思っています。

そこで、原稿をウェブ掲載用に現在の状況に合わせ加筆、修正して掲載します。以下が元の文章となりますので、引用の際には以下の出典を明記してください。

環境エンリッチメントって?

落合知美 (1998) The Professional Keepers. vol. 4, pp3-10.

環境エンリッチメントって?

「環境エンリッチメント」について書いてほしいとの話がありました。

私自身、環境エンリッチメントの研究をしているので、今までにそれを発表する機会もいくつか有りました。

しかし、まだまだ環境エンリッチメントという言葉は一般の人々にはもちろん、研究者や動物飼育に携わる人でさえもなじみが薄いようです(※1998年当時の状況です)。

そこでこの機会に、これらの言葉について特に動物園関係者を対象に考えて説明をしたいと思います。

この機会に、動物の飼育に携わる人はもちろん、直接には動物の飼育に関係のない人にも、人間が飼育動物とどう向き合うべきかを考えてほしいと思います。

ではまず、環境エンリッチメントを説明する前に、現在の飼育環境の問題点を明らかにしておきたいと思います。

1、飼育の問題点

現在、多くの動物が、家畜や動物園の動物、実験動物などとして人間の手で飼育されています。

しかしこれらの飼育動物では、繁殖障害発育障害を持つ個体が多く、意味もなく同じ事を繰り返す行動(常同行動;stereotypic behaviors)や、糞食(coprophagia)や吐き戻し(regurgitation)といった異常行動(abnormal behavior)も頻繁に観察されます。

その原因として、その動物の飼育環境が適当でないことが考えられます。

飼育環境に、ほんの少しのくふうを加えるだけで、それらが改善されることも少なくはありません。
近年、動物福祉の考えが普及し、その観点からも飼育環境の改善は必要とされています。

特に動物園は、教育の場、研究の場、自然保護の場としての役割を持つといわれています。

例えば、自然保護として自然破壊により生息環境が奪われた野生動物の避難所としての役割を果たすためには、人間の手により保護するだけでなく、将来的に生息地に返しても生きていけるように、動物本来の行動を失わないよう飼育する必要があるでしょう。

そのためにも、今の飼育環境ではとても充分とはいえず、改善する必要があるのです。


ではなぜ、改善が必要な飼育環境が多いのでしょうか。

飼育環境について考慮されなかったのも1つの原因ですが、歴史的な原因もあるようです。

数十年前までは動物に対する知識も少なく、動物を飼育環境に導入したとたん死んでしまう個体が多かったようです。

特に動物園では、多くの人の出入りを伴う場所のため弱った動物が感染症にかかり易く、衛生面に気を配る必要がありました。

そういった時代の流れの中で、飼育環境も衛生面を第1番に考え、掃除や殺菌が簡単に出来るようなコンクリートやタイルの床や壁が多くなったようです。

また、動物に対しての知識が十分得られていなかったため、動物の予測不能な行動や力を案じてか、重い鉄の扉や鉄の格子が使われています。

しかし現在では、野生での調査も進み、また多くの飼育員や獣医などの努力で、動物の病気や動物自体に対する理解も深まりました。

しかし、飼育環境はいぜん昔の形を残しています。コンクリートやタイルで囲まれた無菌状態の生活が、私達ヒトを含む動物において、はたして本当に良いのかという議論もあります。

動物はどんな環境にも適応しようとしますが、適応しているからといってそれで良いわけではありません。

動物園が教育の場研究の場自然保護の場といった、その社会的役割を十分に果たすためにも、本来の生態環境に近い飼育環境を提供し、飼育動物が本来の暮らしと同じような暮らしを営めるよう努力する必要があると考えられます。

動物たちが暮らしやすく、見ている私達もその動物に対して正しい情報が得られるような飼育環境が、今求められているのではないでしょうか。

2、環境エンリッチメント

2.1 語句の説明 

そこで出てくるのが環境エンリッチメントです。

環境エンリッチメントとは「動物福祉の立場から、飼育動物の”幸福な暮らし”を実現するための具体的な方策」のことです。そこで、まずこれらの言葉一つ一つについて説明したいと思います。

動物福祉(animal welfare)

「人間のためになるという目標を満たすように動物が使われるならばやむを得ないが、その動物が被る痛みや苦しみは最小限に抑えなければならない」という考え方です。

よく似た言葉で動物の生きる権利(animal rights)というのがあります。これは、動物にも生きる権利や実験されない権利、飼育されない権利があるという考え方であり、たとえ人間のためになるとはいえ動物の使用をまったく認めていないという点で動物福祉とは異なっています。

現在、日本ではこれらの言葉の定義はあいまいで、混同して使用されることも多いようです。

幸福な暮らし(psychological well-being)

動物福祉という立場から見て、実現すべき目標です。

飼育動物について、その動物の身体的な健康や衛生だけでなく「心」も重視されなければいけない、心身ともに健全な暮らしがあるという考え方です。

人間以外の動物には「心」がないと考えられた時もありました。

しかし、大型類人猿などを対象とした研究から、ヒト以外の動物でも言葉を操る知性を持ち、喜怒哀楽の感情を共有できることがわかっています。

また、進化の上から見ても人間だけが特別だと考えるのは難しいでしょう。

人間と言葉を共有しない動物の、心の幸福を理解することは難しいことです。

しかし、その動物の行動や生態や社会などについて理解を深めることが、動物の心の理解を助けることになるのではないでしょうか。

環境エンリッチメント(environmental enrichment)

環境の充実化環境の豊富化とも訳されます(※1998年当時の話です)。

動物福祉の立場から、動物の幸福な暮らしを実現させていく、そのための具体的な方法という事になるでしょう。

環境エンリッチメントにはケージのサイズを大きくするといったものから、給餌回数を増やす、給餌方法をくふうする、ロープを張る、複数の個体を一緒に飼う、人間が相手になって遊ぶ、など様々な種類があり、それをどのような形で進めていくかは飼育する私達が検討し、その状況に合った最適なものを選ぶべきです。

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